(The Short Happy Life of Francis Macomber, by Ernest Hemingway, 1936)
使用テクスト:The Complete Short Stories of Ernest Hemingway,
       The Finca Vigia Edition. New York: Charles Scribner’s Sons, 1987. pp. 5-28
注1、このテクストからの引用は、CSS 5:1 (5ペイジ、本文の1行目)のように略記します。
注2、シェイクスピアからの引用は、特記なき限り、Riverside Shakespeare 第2版によります。

目次
1 はじめに:梅毒という視点(Syphilitic Perspective)から読み解く
2 物語の時と所
3 物語の構成と構造とテーマ
4 題名
5 主要登場人物
6 書き出し
7 第一の物語:サファリ(狩猟)
7-1 ライオン狩り
7-2 ぐっすり眠った深夜の出来事
7-3 水牛狩り(マカンバーの変容と死)
8 第二の物語:友情の芽生え
8-1 ウィルソンによる事故処理
8-2 マーガレットの変容
8-3 ウィルソンの変容と友情の芽生え(A Budding Friendship)
9 おわりに:梅毒(まとめ)

主要引用・参考文献

1 はじめに:梅毒という視点(Syphilitic Perspective)から読み解く

  A page is always flat, and we need perspective to make it convey the illusion of life in the
  round. (Levin, Harry, Ⅲ p. 152)
  どのページもつねに平板であり、その作品に人生の幻像をくっきりと伝達せしめるために
  は、われわれはある展望を必要とする。(レヴィン:土岐恒二訳、Ⅲ p. 452 上段)


ヘミングウェイの小説には、短編も長編も一つの作品に二つのテーマ(二つの物語)があります。そして、その小説は、「氷山理論(theory of iceberg)」、あるいは「省略の理論(theory of omission)」といわれる手法で書かれています。

二つのテーマのうち第一のテーマ(第一の物語)については、筋道だって、細部に至るまで明示的に(explicit)描かれます。描かれたものをそのままたどれば誰にでも理解でき、楽しめます。

ところが、第二のテーマ(第二の物語)については、明白には言い表されず、多くは省略されます。いわば、氷山の八分の一だけが描かれ、八分の七は水面下に隠されます(cf. Death In The Afternoon, chapter 16, p.192)。なぜなら、「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、・・・秘するによりて大用あるが故なり。」(世阿弥、p.103)。

しかも、その氷山の一角は、第一のテーマの物語の中に、相互に関連がないかのように散らばって存在しています。水面上に高く突き出ているものもあれば、わずかにしか出ていないものもあります。何度も繰り返し姿を現すものもあれば、一度しか姿を現さずその後水面下に没してしまうものもあります。それらの断片は読者の網膜に明確な像を結ぶことはありません。それらが第二のテーマを持つ第二の物語を構成する要素であるとは理解されません。

しかし、氷山の一角は多くの読者に確かに見えていますので、読後に気がかりなもの、「謎」が残ります。それはちょうどハンス・ホルバイン(子)(Hans Holbein, the Younger, c. 1497 – 1543)の『大使たち(The Ambassadors)』(1533)と名付けられた肖像画(ロンドン・ナショナル・ギャラリーが1890年に購入し、所蔵する)を見た後の印象に似ています。

正面(第一の視点)から見れば、二人の人物とその他種々のもの(地球儀、リュート、二冊の本など)は、細部に至るまで迫真性をもって描かれていて、二人の人物が社会的地位の高い人物であり、教養があり知性の優れた人物であることはすべての人にはっきりとわかります。

しかし、いくつかの謎が残ります。例えば、画面の中央前面下部に描かれている「ゆがんだ卵」(蒲池美鶴、p. 23)は、表面に意味不明の模様が描かれた物体で、「謎」の物体です。

この謎の物体は、実は、だまし絵(Perspective)の技法で描かれたものです。(cf. シェイクスピア『リチャード二世』(Richard The Second, 2.2.18 – 20))
正面から見たときは、意味不明の混沌以外の何物でもありません(nothing but confusion)。
第二の視点、特定の正しい視点、この物体の場合は斜め右(あるいは、斜め左)から見た(eyed awry)ときに、一つの明確な像が浮かび上がります。すなわち、「頭蓋骨(skull)」が浮かび上がります。

このだまし絵の技法は、ヘミングウェイの氷山理論と共通したところがあります。氷山理論で描かれた作品は、だまし絵の技法で描かれた絵のようなもので、散在する一群の「謎」の部分は、ある特定の正しい視点(Perspective)から読まなければ一つの明確な像を結びません。誤った視点から読むと、平板で(flat)、曖昧な(vague)像を結ぶことになります。

ハリー・レヴィンは次のように述べています。
  In short, he is communicating excitement; and if this communication is received, it
  establishes a unique personal relationship; but when it goes astray, the diction goes flat and
  vague. (Levin, Ⅳ p. 156)

では、ヘミングウェイの興奮を正しく受け取るためにはどうしたらよいでしょうか。彼の謎に満ちた言い表し方(the diction)を、くっきりとした明確な像を結ぶようにするためにはどうしたらよいのでしょうか。それは「梅毒という視点(Syphilitic Perspective)」を持つことです。

ここでの目的は、作中の気がかりな一群の断片(謎)を拾い上げ、それらが実は「梅毒の断片」であり、それらがまとまって一つの明確な「梅毒」という像を結ぶようにすることです。さらに、梅毒に感染し苦しむ二人の像を浮かび上がらせることです。
それはちょうど『大使たち』の謎の物体が、特定の正しい視点から見ることによって、「髑髏(skull)」の像であることがわかることと似ています。

しかし、「髑髏は、メメントモリだけに終わらないもっと深い意味」(蒲池美鶴、p.31)がありました。同様に、死に至る病「梅毒」を第二のテーマにしたこの短編は、頭蓋骨(skull)、あるいは、死を忘れるな(memento mori)だけでは終わりません。病を同じくする二人の間に友情が芽生えます(’A Budding Friendship’, Letters, p. 442, 445)。

2 時と所

時: 1934年(ヘミングウェイは1933年から1934年にかけてサファリ旅行をしま
   した)
所: アフリカ

3 物語の構成と構造とテーマ

この短編は、二つの部分で構成されています。二部構成です。5頁から28頁8行目までの部分とそれ以降結末までの部分との二つの部分で構成されています。また、上下二つの層からなっています。二層構造です。そして、テーマが二つあります。

第一の物語のテーマと主人公
第一の物語のテーマはサファリ(狩猟)です。物語の第一部を構成しています。物語の上層部をなしています。第一の物語の主人公はフランシス・マカンバー(Francis Macomber)です。マカンバーはライオン狩りで臆病な男であることを衆目にさらしてしまいました。

昼食時に、自分の仕留めた大型の獲物であるイランド(eland: アフリカ産のオオカモシカ、ウシ科、体重300~1000kg)のステーキを妻やウィルソンとともに食し、午後、インパラ(impala: 体重40~65kg)狩りで、小さい標的であるにもかかわらず見事に仕留める腕前を披露、少し自信を取り戻しました。翌朝、アフリカ水牛の追跡(chase)をし、高揚感・幸福感を味わい、精気みなぎる男に変容(change)しました。

傷を負わせただけで仕留めそこなった一頭の水牛に真正面から立ち向かう勇気を示しますが、その瞬間に死を迎えるという「短いがゆえに幸福な生涯」を完結させました。「サファリによる変容(A Safari Change)」とでも名付けるべき物語です。シェイクスピアの『テンペスト(The Tempest)』「海による変容」(a sea-change, 1.2.401)を想起させます。

マカンバーよりほんの少し長く生きたために、何物にも代えがたい妻デズデモーナをも殺すことになってしまったオセローの悲劇とは対照的です。また、マカンバーの唇が薄い(rather thin-lipped, CSS 6:21)のも、オセローの唇が厚い(thick-lipped, Othell, 1.1.66)のと対照的です。

第一の物語の初めと終わり
物語の初め、第一文は次のように書き出されています。
  It was now lunch time ・・・ (CSS 5:1)
第一の物語はマカンバーの死で終わります。
  Francis Macomber lay now ・・・ (CSS 28:7-8)

‘now’ で始まり、’now’ で終わっています。
「書き出し」については後述します。(CSS 5:1-3)

第二の物語の初めと終わり
第二の物語は次の文で始まります。
  ”I wouldn’t turn him over,” Wilson said. (CSS 28:9)
そして、次の文で終わります。
  ”Now I’ll stop.” (CSS 28:42)
最後の文は副詞 ‘Now’ で始まり、動詞 ‘stop’ で終わっています。

第二の物語のテーマと主人公
第二の物語のテーマは梅毒(French disease, syphilis)です。主人公はマーゴットとウィルソンです。二人の間に友情が芽生えます。

4 題名

  (文学)テクストというのは、いうまでもなく、はじめと終わりをもっている一つの閉じ
  たシステムであり、その閉じたシステム全体をくくるものとしてタイトルが与えられてい
  る。(前田愛、p. 096)

題名は、次の7語からなっています。
The (定冠詞)、short(形容詞)、happy(形容詞)、life(普通名詞)、of(前置詞)、Francis(固有名詞)、Macomber(固有名詞)計7語です。7は素数です。
ヘミングウェイは素数が好きです。この短編には、2,3,5,11が出てきます。

・The は、the wife(CSS 21:37-38), the woman(28:37)を想起させます。

・short, happy と形容詞が2つ含まれていることが注目されます。この二つの形容詞の語法は撞着語法(oxymoron)ではありません。short ergo happy (短い 故に 幸福)ですから。
 short は、 shoot, shooting, shot(ライフル銃の発射、サルバルサンの注射)を想起させます。
 happy は、happen, perhaps(CSS 15:44, per + haps, haps=hap pl. ← happen, happy)を想起させます。

・life は、wife, rifle とともに同母音、同子音 / – aif -/ を含みます。この短編が狩猟と妻と人生
 の幻像を伝達するためのものであることを示しています。

・of 前置詞も重要です。under, with が特に重要です。

・Francis, Macomber 中心的登場人物名は重要です。「5 主要登場人物」で詳述します。

第二の題名:友情の芽生え(A Budding Friendship)
題名は、通常一つです。しかし、ヘミングウェイ作品の場合は、テーマが二つあり、二つの物語で構成されていますので、題名は二つ欲しくなります。この作品も例外ではなく、題名は二つ欲しくなります。

第二の題名は、第一の題名から導き出されます。すなわち、The Long Unhappy Lives of Margaret And Wilson です。そして、その不安に満ちた闘病生活を共に生きなければならない二人の間に友情が芽生えます。そういう意味で “A Budding Friendship”(友情の芽生え)(Letters, pp. 442, 444)という題名が第二の題名としてふさわしい。

二つの題名を持つ作品
一つの作品が二つの題名を持つ例として、『日はまた昇る』という邦訳題名で知られている長編小説があります。この長編小説は、’Fiesta‘ という題名と ‘The Sun Also Rises‘ という題名を持っています。
Fiesta‘ という題名は小説の前半、第一の物語につけられるべき題名です。
The Sun Also Rises‘ という題名は小説の後半(最終章:19章)、第二の物語につけられるべき題名です。第二の題名が物語全体をくくります。

5 主要登場人物

主要登場人物は三人です。
フランシス・マカンバー(Francis Macomber)
Francis は古フランス語(Old French: OF)で Frenchman (フランス人)を意味します。しかし、マカンバーはアメリカ人です。フランス人はこの短編には登場しません。ですから、Francis という名前からそれ以外のことを想起するように読者に促しています。

Francis という名前は、シェイクスピアの『ヘンリー四世 第二部』(The Second Part of Henry the Fourth)第3幕第2場に登場する女物の仕立て屋 Francis Feeble (フランシス・フィーブル)を想起させます。彼の名前 Feeble (ひ弱な)そして職業から連想されるものは、兵士に不向きです。しかし、精神は立派です。立派に軍務を果たすでしょう。
  I’ll ne’er bear a base mind. (3.2.235)
  Faith, I’ll bear no base mind. (3.2.240)

わいろを渡して兵役逃れをするような卑劣な(base)心は持ちたくない、と誓っています。
変容後のマカンバーを予告しているようです。
なお、’base’ (卑しい)は、CSS 28:6 では「(頭蓋骨の)基部」という意味で使われています。

1494年から1495年にかけてナポリ王国征服を試みたフランス王シャルル八世(Charles Ⅷ, 1470 – 1498)も想起されます。コロンブス一行がサン・サルバドル(San Salvador)からスペインに帰帆した1年後です。コロンブス一行が梅毒(French Disease)を持ち帰った、と一般に信じられています。シャルル八世は梅毒にかかっていた、と言われています。

Macomber は、Mac: son + omber: man = 「人の子(son of man: イエス・キリスト)を想起させます。若くして死ぬ「救い主」イエスを想起させます。享年35。ヘミングウェイは1934年に35回目の誕生日を迎えます。

Macomber はスコットランド系の名前であることから、後述のスコットランドの眼科医 アーガイル・ロバートソン(Argyll Robertson, 1837 – 1909)が想起されます。

マーガレット・マカンバー(Margaret Macomber)
マカンバー夫人(Mrs. Macomber)。
Margaret は「伝統的にはギリシャ語 Margarites (真珠 pearl)に由来するものであると考えられてきた」(梅田修、p.129)。マーガレットは夫を「私の真珠(my pearl, CSS 9:2)」と呼んでいます。

マーガレットという名前の実在人物としては、ヘンリー六世の妃マーガレットが有名です。
シェイクスピアの『ヘンリー六世 第二部』、『ヘンリー六世 第三部』や『リチャード三世』に登場します。才能があり、気が強く、「女傑」です。

夫フランシスは浅黒い肌をしています(dark, CSS 6:21)。美人にとっては黒い肌の男は真珠に見えます(Black men are pearls in beauteous ladies’ eyes.)(『ヴェローナの二紳士』The Two Gentlemen of Verona, RSC, 2nd. ed., 5.2.12)。
黒い肌のオセローは貴重な真珠であるデズデモーナを自らの手で投げ捨てました(Othello, 5.2.347, threw a pearl away)。マーガレットは大切な夫(my pearl)を自らの手で投げ捨てます( CSS 27-28)。

真珠(pearls)は、『ヴェローナの二紳士』では「梅毒性ただれ(syphilitic sores)」(RSC 2nd. 5.2.13 脚注)という意味で使われています。
『ヘンリー四世 第二部』の ‘pearls’ (RSC 2nd. 2.4.45)も「梅毒性ただれ」と解釈できます。

Margot (マーゴット)
Margaret (マーガレット)はこの短編中で Margot(マーゴット)という愛称で呼ばれています。Mar (傷・病い mal)+ got (負った)=傷・病いを負った(人)と解釈できます。マーゴットはフランス病(mal francais 梅毒)にかかっています。

フランス病(French Disease, Syphilis: 梅毒)
梅毒はスピロヘータ(Spirochaeta)の一種である梅毒トレポネーマ(Treponema pallidum)の感染による慢性感染症です。梅毒トレポネーマは直径0.1~0.4μm、長さ5~20μmのらせん状細菌で、「青白い(pallidum)回転する(trepo)糸(nema)」という学名を持っています。ごく小さな傷口からでも体内に侵入します。

梅毒トレポネーマは、1905年にシャウディン(F. R. Schaudinn, 1871 – 1906)とホフマン(P. E. Hoffmann, 1868 – 1959)によって発見されました。
なお、1905年にはアインシュタイン(Albert Einstein, 1879 – 1955)の「特殊相対性理論(Special ralativity)」が発表されました。

ロバート・ウィルソン(Robert Wilson)

ロバート(Robert)という名前
ロバート(Robert)は、ヘミングウェイの『日はまた昇る』に、ロバート・コーン(Robert Cohn)として、また、『誰がために鐘は鳴る』にロバート・ジョーダン(Robert Jordan)として登場します。

実在人物では、ロバート・グリーン(Robert Greene, 1558 – 1592)がいます。シェイクスピアの先輩詩人・劇作家です。

ロベルト・コッホ(Robert Koch, 1843 – 1910)は、病原微生物学の父とも称されます。
コッホの弟子には、パウル・エーリッヒ(Paul Ehrlich, 1854 – 1915)、北里柴三郎(1853 – 1931)などがいます。エーリッヒは側鎖説(免疫学)でノーベル賞を受賞しました。北里柴三郎は破傷風菌の純粋培養に成功、血清療法を開発、ペスト菌を世界で最初に発見しました(1894年6月14日)。

北里柴三郎の弟子には、赤痢菌(Shigella dysenteriae)を発見し、属名にその名を残した志賀潔(1871 – 1957)がいます。また、進行性麻痺患者の脳から梅毒トレポネーマを検出した野口英世(1876 – 1928)、サルバルサン(魔法の弾丸)発見・創出のためにエーリッヒに協力した秦佐八郎(Hata Sahachiro, 1873 – 1938)などノーベル賞受賞者たち(ベーリングやフィビガー)に勝るとも劣らない人物が多数います。

魔法の弾丸(Freikugel, magic bullet )
「魔法の弾丸(Freikugel)」は、ウェーバー(Carl Maria von Weber, 1786 – 1826)作曲『魔弾の射手』(Der Freischutz, 1821 初演)では、若い狩人マックス(Max)が放つ弾丸です。
この短編では、マーゴットが放つ弾丸は solid bullet ですが、「悪魔の意志のままに標的に命中する弾丸(Freikugek, magic bullet)」ともいえるでしょう。

ウィルソン(Wilson)という名前
Wilson は、William + son です。
文学史上では、ウィリアム・シェイクスピアが想起されます。次に、『グレート・ギャッツビー』(The Great Gatsby, 1925)に登場するGeorge Wilson 。彼には子供がいないようです。妻 Myrtle は、顧客の一人であるトム・ブキャナンと不貞を働いています。
Robert Wilson の妻も不貞を働いた、と推測されます。

実在の人物としては、トマス・ウッドロウ ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson, 1856 – 1924)第28代米国大統領がいます。ウィルソン大統領は、脳梗塞発作を患いその後遺症として左半身不随、言語障害、左目視野欠損など健康上の問題を抱えていました。しかし、健康を「装って(pretend)」大統領の職にとどまりました(大統領として:1913 – 1921)。
Robert Wilson も健康であるかのように「装って(pretend)」サファリ・ガイドとして働いています。

Robert Wilson は、Robert + (Wil) son = Robertson です。Robert Wilson は、Stetson 帽 をかぶっています。Robert + (Stet) son = Robertson です。
このことから、スコットランドの眼科医 Argyll Robertson (1837 – 1909)が想起されます。Argyll Robertson pupil (アーガイル・ロバートソン 瞳孔)という神経梅毒の一症状がウィルソンに発現しています。

6 書き出し

CSS 5:1-3 書き出し(第一文)
  タイトルおよびそれに付された作者名が解読のコードになりますが、それと同じように、
  文学テクストの書き出しも、解読のコードになる。つまり入口のところで、そのテクスト
  全体が扱う世界を予知する場合が少なくありません。・・・その冒頭の一文のなかには、
  しばしばその物語がかたちづくる世界がミニアチュアとして描き出されている場合が多い
  のではないだろうか。(前田愛、p. 099)

まさに冒頭の一文がこの短編の世界のミニアチュアとして描き出されています。
  It was now lunch time and they were all sitting under the double green fly of the dining tent
  pretending that nothing had happened.

非人称の it で始まっています
「とき(時)」を表します。ヘミングウェイの全短編中 it で始まっているものは8作品。it で終わっているものは3作品です。it で始まり it で終わっているものは1作品です。それは「清潔で明るい場所」(A Clean, Well-Lighted Place, 1933, CSS 288 – 291)です。ただし、
「清潔で明るい場所」の最後の 文(Many must have it.)中の it (CSS 291)は、人称代名詞で、その意味を把握するのが難しい例(cf. ‘faulty reference’, Levin, p. 154 「不完全な受けかた」、土岐恒二 p.453 中段)の一つです。

was
was は be の一人称および三人称単数直説法過去形。
be は特定の形容詞(good, better, looth など)をともなって非人称構文をつくります。
was のアナグラム saw (see)はこの短編中で活躍する視覚動詞の一つです。

saw は、『オセロー』でも重要な動詞の一つです。
  Othello: I saw the handkerchief. (Othello, 5.2.66)

San Salvador (Bahama 諸島中部の島、1492年Columbus が上陸したところ)から、Salvarsan (サルバルサン、「人を助ける散薬」)への変容はアナグラム的です。

now
now は時間副詞です。ヘミングウェイにとって特別な副詞です。
  There is nothing else than now. There is neither yesterday, certainly, nor is there any
  tomorrow. (For Whom the Bell Tolls, chapter 13, p. 169)

now で始まり now で終わっています
第一の物語の最後の文(CSS 28:7-8)は、Francis Macomber lay now … .です。
第二の物語の最後の文(CSS 28:42)はウィルソンのことば、Now I’ll stop. です。

『リチャード三世』の now とstop
この短編の now と同様、now が印象的に使われているのがシェイクスピアの『リチャード三世』です。『リチャード三世』は Now で始まり、Now で終わっています。
  Now is the winter of our discontent
  Made glorious summer by this son of York; ( Richard the Third, 1.1.1 – 2 )

  Now civil wounds are stopp’d, peace lives again
  That she may long live here, God say amen! (Richard the Third, 5.5.40 – 41)

さらに注目すべきは、最後の文中で stop が使われていることです。なぜなら、この短編の最後の語も stop であるからです。(cf. CSS 28:42, 6:16)

lunch time (昼食時)
昼食時の飲食物と会話の内容に注目します。何を飲み、何を飲まないのか。何を食べ、何を食べないのか。何を話題にしようとし、何を話題にすることを避けようとするのか、に注目します。また、夕食時、翌日の朝食時も注目します。

time「 時間」と四次元・五次元の散文
ヘミングウェイは四次元・五次元の散文を書く、と述べています(cf. Green Hills of Africa, chapter 1, p. 27)。

ハリー・レヴィンは、四次元・五次元の散文に言及して、次のように述べています。
  Green Hills of Africa voices the long-range ambition of obtaining a fourth and fifth
  dimension in prose. Yet if the subordinate clause and the complex sentence are the usual
  ways for writers to obtain a third dimension, Hemingway keeps his writing on a linear plane.
  He holds the purity of his line by moving in one direction, ignoring sidetracks and avoiding
  structural complications. By presenting a succession of images, each of which has its brief
  moment when it commands the reader’s undivided attention, he achieves his special
  vividness and fluidity. (Levin, Ⅴ p. 159)

ハリー・レヴィンは、ヘミングウェイが四次元・五次元の散文を書けるようになるのは「遠い未来のこと(long-range ambition)」と理解しています。しかし、ヘミングウェイはその書き方を既に知っています(Green Hills of Africa, Chapter 1, p. 27 “I know it.”)。既に知っている、ということは、既に書いている、ということです。この短編は四次元・五次元の散文の一例にすぎません。

ヘミングウェイは線的平面(二次元)の散文に固執している(Hemingway keeps his writing on a linear plane.)わけではありません。三次元の散文を得るために従属節や複文を用いようとはしていません。既に四次元・五次元の時空間(spacetime)で書いています。

線を一次元、面を二次元、立体(空間)を三次元、それに「時間」という次元を加えて四次元とします。アインシュタインの一般相対性理論(General theory of relativity, 1915)を念頭に置いています。 一般相対性理論によれば、時間(time)と空間(space)は互いに密接に結びつけられて、四次元のリーマン空間を構成する(広辞苑 第六版)。

ヘミングウェイの三次元空間には、裸眼では見えないミクロ(μm)の空間が含まれています。顕微鏡を用いなければ見えない空間が含まれています。ですから、三次元+ミクロの空間+時間=五次元とも言えます。
読者は、工夫を凝らした顕微鏡(暗視野顕微鏡)で、あるいは、対象物を染色して見る(読む)必要があります。

また、ヘミングウェイの現代英語のテクスト中に古語(archaic: 古英語、中英語、シェイクスピアの英語など)が紛れ込んでいるのを見逃してはなりません。水面上に現れた古語(”Thou wert plenty of horse.” For Whom the Bell Tolls, chapter 27, p. 313 and “How art thou called?” chapter 2, p. 23)ばかりでなく、水面下に隠された古語もあります。

under the double green fly 前置詞句
under は、「(水面)下の(氷山)」を想起させ、この短編中で最も重要な前置詞です。(cf. CSS 7:9, 7:20)

double は、double meaning, double time (cf. Othello), double plot (cf. The Merchant of Venice), double adultery (cf. Desdemona and Emilia, ただし、両女性の夫たちによる誤解であった), double standards (Robert Wilson) などを想起させます。

なお、ヘミングウェイは『オセロー』のプロットが好きだ、と『アフリカの緑の丘』で述べています。(Green Hills of Africa, chapter 8, p. 166)

green 緑色の
形容詞 green 「緑色の」は、「色一般」、「光」、「視覚」、「目」を想起させます。(cf. CSS 27:44)
ハリー・レヴィンは形容詞について次のように述べています。
  If we regard the adjective as a luxury, decorative more often than functional, we can well
  understand why Hemingway doesn’t cultivate it. (Levin, Ⅳ p. 157)
  ・・・
  Granted that his adjectives are not colorful … (Levin, Ⅴ p. 158)

「彼が形容詞を磨き上げることをしない」「彼の形容詞が多彩のものではない(not colorful)」とレヴィンは述べていますが、この短編中に色は13種(green, white, sandy, red, blue, dark, brown, rose-colored, rosy-khaki, gray, black, tawny, yellow)、延べ70回も登場し、多彩です(colorful)。

ヘミングウェイの高校時代の作品『色の問題』(A Matter of Color, April 1916, Tabula)の鍵語は ‘color blind’「色盲(色覚異常)」です。彼は高校時代から眼科学の知識を利用して作品を書いていました。
この短編の解読には眼科学の知識が必要です。ウィルソンには視覚性反射に機能する中脳背側部(上丘)の病変に起因する目の一症状が現れています。マーゴットの撃った弾丸の命中箇所はその中脳背側部(上丘)です(CSS 27 – CSS 28)。

動詞の eye, glance, look, see, stare, watch などにも注目する必要があります。

fly は、まさしく、double meaning の語として登場しています。「天幕の張り布」、「飛ぶ」、「飛ぶ昆虫・ハエ(flies)」を意味する語として登場しています。

tent 天幕
dining tent は、tent for dining 「食事用の天幕」です。しかし、tent には「天幕」以外の意味(別の語:OF からの移入語)があります。すなわち、名詞としては、probe for exploring wounds 「傷を探るための針(探針)、動詞としては、(to)probe 「探針で傷を探る」という意味です(同綴り・同音・異義・異語)。
この短編ではテントの内外で傷の探り合いが繰り広げられます。(cf. CSS 6:34, 9:20, 10:10 she is giving him a ride など)

tent は、動詞「探針で傷を探る」の意味で『ハムレット』に出てきます(Hamlet, 2.2.597 I’ll tent him to the quick. )。名詞でも出てきます。
probe は、動詞「探針で傷を探る」の意味で『武器よさらば』に出てきます(A Farewell To Arms, chapter 9, p. 59he probed … Does that hurt? … Christ, yes!  外科医は傷に探針でさぐりを入れた・・痛いかい?・・ヒエッー、痛い!)。

pretending that nothing had happened 何ごとも起こっていなかったようなふりをしていた
実際は、マカンバーがライオンから逃げ出すという臆病ぶりを衆目にさらすという事態が起こっていました。

しかし、人に知られたくない事態が起こっていたのはマカンバーひとりに限ったことではありませんでした。ウィルソンにも、マーゴットにも人に知られたくない事態が起こっていました。何ごとも起こっていない「ふりをしていた(pretending)」のです。
(cf. CSS 15:32 You mean pretend to ourselves … )

happen(ed) 非人称動詞
happen は非人称動詞(impersonal verb)です。
題名に含まれている happy は、happen と同語源です。同一語源語の反復、語源的あや(figure etymologique)とも言えます。題名と本文とのつながりを強めています。この二つの語が同一文中に現れることもあります。
  Do you have that feeling of happiness about what’s going to happen? (CSS 26:15)

また、perhaps という語も登場します (CSS 15:45)。perhaps は、per (他動詞化) + haps (hap pl.) であり、「たぶん、何ごとか好ましくないことが起る(happen)のではないか」という状況下で使われています。

非人称動詞(impersonal verb)
  主語がない文を非人称構文(impersonal construction)と呼ぶ。また、この構文の動詞を非
  人称動詞と呼ぶ。(橋本功 p. 171)

古英語(OE: Old English)では次のような非人称構文がありました。
① her sniwde (= here snowed = It snowed here) (ここで雪が降りました)
② me lyst raedan (= to-me pleases to-read = it pleases me to read) (読書することは私には
  嬉しいことです)(①、② 橋本功 p. 171)

この短編中の非人称動詞
happen のほかに次のような非人称動詞(非人称動詞句)が出てきます。
  be better, chance, dew, dream, hurt, like, loathe, look, mister ( Mr.), need, please, say, seem,show, sit,
  stand, think, want など。
ただし、dew, dream は名詞として使われています。

これらの非人称動詞の多くは中英語期(1100~1500年)に人称動詞(personal verb)に移行しました。この移行にともなって、like や please などの動詞はその意味が変化しました。

なお、ここでは、「非人称動詞」とは、古英語および(または)中英語などで非人称構文中で使われたことがある動詞を指します。

非人称動詞から人称動詞への移行にともなう「意味の変化(semantic change)」
非人称動詞から人称動詞への移行にともなう意味の変化について、オットー・イエスペルセン(Otto Jespersen, 1860 – 1943)は、like を例にとって次のように述べています。
  This transition causes a semantic change in the verb ‘like’, which from the meaning ‘please,
  be agreeable to’ (him like oysters) came to mean ‘feel pleasure in’ (he likes oysters)
  (Jespersen, p. 160)

シェイクスピアは同一の動詞を非人称動詞として、また、人称動詞として使っています。
(例1: like)
  非人称動詞としての使用例:Whether it like me or no, I am a courtier.
  (『冬物語』4.4.730)(好むと好まざるとにかかわらず、私は宮廷人なのだ)
  人称動詞としての使用例: I like your work.
  (『アテネのタイモン』1.1.160)(私はあなたの作品が好きだ)
  (安藤貞雄 p.107-108)

(例2:please)
  非人称動詞としての使用例:Not so, and’t please your worship.
  (『ウィンザーの陽気な女房たち』2.2.37 OED please, 3b.)
  (失礼ですが、私は妻ではありません。)
  人称動詞としての使用例: Let me say no, my Liedge, and if you please.
  (『恋の骨折り損』1.1.50, OED please, 6b.)
  (失礼ですが、陛下、お断りします。)

ヘミングウェイは以上のことを念頭においてこの短編を書いています。
また、非人称動詞(非人称構文)は、短編 Cat in the Rain (CSS 129 – 131)の謎を解くための重要な鍵のひとつです。

7ー1 ライオン狩り

CSS 5:5-6 gimlet ギムレット
昼食が供される前に、マカンバーは、飲み物として非アルコール飲料(lime juice or lemon squash)を飲みましょうか、と提案しました。しかし、ウィルソンは、カクテルのギムレットを所望します。ライムジュースがその材料のひとつであるため、連想が働いたのでしょう。
マーゴットもギムレットを飲むことにします。
  I’ll have a gimlet.
  I’ll have a gimlet, too.

gimlet ギムレットの意味
ギムレットは、プリマス・ジン(Plymouth Gin)とローズ社のライム・コーディアル(Rose’s Lime Juice Cordial:甘味を加えたライム・ジュース)を半々ずつ混ぜたアルコール飲料。不愉快な気持ちを晴らすには非アルコール飲料よりよいでしょう。

とはいえ、ウィスキーをストレートで飲むウィルソンが所望するのは少し変です。アルコール分が低すぎます。甘すぎます。おそらく、マーガレットも飲むことを念頭に置いているのでしょう。『アフリカの緑の丘』(第三章)では、ヘミングウェイ夫人が飲みます。(Green Hills of Africa, chapter 3, p. 60)

あるいは、ウィルソンは壊血病(scurvy ビタミンC欠乏症:皮下、粘膜などの出血が特徴である。アルコール常用者や薬物服用者でビタミンCは欠乏しやすい)の予防効果を期待しているとも考えられます。

しかし、gimlet には別の意味があります。すなわち、ねじきり(大工道具)という意味です。double meaning の語です。

バート・ベンダーは、ギムレットについて次のように述べています。
  ”Gimlet” is perfect: like a “screwdriver”, it is a drink named after a tool … the “small hand
  tool for boring holes, having a spiraled shank, a screw tip, and a cross handle” (The
  American Heritage Dictionary). … “gimlet” is the perfect image to express the general
  violence and, in particular, the sexual violence Hemingway depicts on this safari. Clearly, he
  identifies Wilson with the gimlet in this opening drama and, further, foretells the sexual
  encouter between Wilson and Margot just hours later. More important, this elaborate
  selection of drinks and play on words allows Hemingway to accomplish what he wants most
   … to have arranged for Margot to say, “I’ll have a gimlet too. I need something.” It all comes
  to this for Hemingway in this story: Margot needs something … to be dominated sexually,
  physically, psychically, and the squashed Francis is incapable of setting things right. (Bender,
  14)

a) ねじきり(gimlet)は手動の小型穴あけ道具である。軸はらせん状(spiraled shank)、先端はコルク栓抜き状(screw tip)で、十字形のハンドルが付いている(a cross handle)。
b) ねじきりのイメージは一般的に暴力的であり、特に、ヘミングウェイがこのサファリで描く性的暴力を表現している。
c) さらに重要なことは、「私もギムレットを飲むわ。私、何かが必要なのよ」と言うようにマーゴットを仕向けたことです。マーゴットが性的に、肉体的に、心理的に支配されるように、仕向けたことです。フランシスにはそのようにマーゴットを支配することはできません。

特に性的暴力がイメージされる、とベンダーは述べています。しかし、この短編のテーマは性的暴力ではないので、正しい解釈ではありません。
梅毒が第二のテーマであるということから、次のような解釈になります。

ギムレット(gimlet):梅毒という視点からの解釈
ギムレットは「ねじきり」をも意味し、その形状(上記ベンダーの a) を参照ください)と使用時の動きから、スピロヘータ(Spirochaeta)のグループに属する梅毒トレポネーマ」(Treponema pallidum)を示しています。

「ギムレットをいただきましょう」の意味
  ”I’ll have a gimlet,” Robert Wilson told him.
  ”I’ll have a gimlet, too. I need something, Macomber’s wife said.
ギムレットが梅毒トレポネーマを意味することから、ウィルソンとマーゴットは梅毒菌を体内に侵入させようとしているか、すでに梅毒菌に感染している(have syphilis, suffer from syphilis)ことを意味します。

have は、stop とともにこの短編中で多種多様な使われ方をしており、また、多義に使われています。(cf. have, CSS 10:16, 28:25, 28:30, 28:34 など )

CSS 5:6 “I need something.”「私、何かが必要なの」の意味
“I need something.” マーゴットは何かを必要としています。
I need something. は、I need some help. 「私には何らかの助けが必要です」を意味しています。

梅毒罹患を知ったマーゴットはどうしたらよいのか、何らかの助けが欲しいと切望しています。夫に相談するわけにもいかず、新聞の医療相談欄に投稿して相談するわけにもいかず、孤立無援(helpless, cf. CSS 23:44, 26:25)の状態です。(cf. One Reader Writes, CSS 320 – 321 )

need は非人称動詞です
  OE の動詞 neadian, niedan は ‘compel’ を意味するが、この意味は eME においてもまた neden がしば
  しば表現しているものである(もっぱら Ancrene Riwle において!)・・・
  (van der Gaaf, 27 neden, p. 21, 水鳥喜喬訳)

従って、I need something. の need には、be necessary のほかに、compel, force, order の意味が込められています。すなわち、「(私はあなたに)強制する、(私はあなたに)命令する」の意味が込められています。ですから、マカンバーとウィルソンは快くは感じていません。(cf. CSS 28:42 please)

非人称構文中で用いられた例を記します。
  him nedede non help (Chaucer, Boethius (Boece) , Ⅲ, pr. (prosa) Ⅲ 76 ) (van der Gaaf, 27
  neden, p. 21)
  彼にはなんの助けもいらなかった(水鳥喜喬訳)

CSS 5:8 three (gimlets) 3
  ”Tell him to make three gimlets.” 「彼にギムレットを3つ作るように言ってくれ」
この短編は3で始まり、3(人)(CSS 28:35 three of us)で終わっています。2(二人)で終わっていません。何故でしょうか。死んだとはいえ、マカンバーが私たちの記憶の中に生きているからでしょうか?

『オセロー』には「偉大な算術家(a great arithmetician)」が登場します。フローレンスの人キャシオー(Michael Cassio, a Florentine)です。彼自身の算術家としての偉大さを証明する事例は出てきませんが、美人の奥様(a fair wife)は算術家の奥様だけのことはあります。7(日)x24(時間)=20x8+8=168(時間)を瞬時に計算します。(Othello, 3.4.172 – 176)
シェイクスピアはフローレンス人と同様、算術が得意だったのでしょう。

ヘミングウェイも算術(数学)が得意だったのではないでしょうか。
ハリー・レヴィンは次のように述べています。
  Precision at times becomes so arithmetical that, in “The Light of the World,” it lines up his
  characters like a drill-sergeant: “Down at the station there were five whores waiting for the
  train to come in, and six white men and four Indians.” Numbers enlarge the irony that
  concludes the opening chapter of A Farewell to Arms … rain brings the cholera which kills
  ”only seven thousand.” (Levin, Ⅳ p. 156)

「正確ということがときには算術的に過ぎて・・・」、「『武器よさらば』の冒頭の章において、・・・雨がコレラをひきおこし、それが「たった七千人」を殺すとき、この章をしめくくっているアイロニーを拡大するのは数字である」(土岐恒二訳 p. 454 中段、訳を一部省略)

ハリー・レヴィンは、ヘミングウェイの数(numbers)を軽視しています。「たった七千人」をアイロニーの拡大と評しています。レヴィンによる数軽視・数評価は誤りです。ヘミングウェイの数(numbers)は誇張ではなく、事柄を明確に読者に伝えるためのものであり、「死者はたった七千人」もアイロニーの拡大ではありません。数(numbers)は作品解釈上必須の情報の一つです。

この短編には次のような数(numbers)が出てきます。
  0.3, 0.505, 1, 2, 3, 4, 5, 06 (=1906), 6.5, 11, 15, 20, 21, 35, 45, 50, 75, 100, 200, 220, 5000
ライフル銃の口径・年式、結婚年数、仕留めた水牛の角の大きさ、銃弾が当たった位置(CSS 28: 6 about two inches up )など数は読者にとってなくてはならない情報です。

CSS 5:10 sweated 汗をかいた
  … the bottles … that sweated wet …
  (ジンやライムジュースの入った)瓶は(冷やされて)汗をかいて濡れていた

sweat (汗)の水滴の形状は、皮膚表面からの隆起である丘疹(papules)に似ています。丘疹( syphilis papulosa 梅毒性丘疹)は二期梅毒の症状の一つです。
sweat (汗、汗をかく)は、また、梅毒の伝統的治療法の一つで、発汗用の風呂(sweating-tub)に入って汗をかく治療法です。

シェイクスピアの『トロイラスとクレシダ』に登場する梅毒罹患者パンダラス(Pandarus)はこの治療法を用いています。
  Till then I’ll sweat and seek about for eases (Troilus and Cressida, RSC 5.11.53 脚注参照)
  そのときまで、発汗用風呂に入って汗をかき、梅毒の症状緩和に努めよう

以上のことから、登場人物中に、二期梅毒罹患者と梅毒治療中の人がいることが推測されます。それは、マーゴットとウィルソンです。

CSS 5:18 triumph 勝利の凱旋
  Francis Macomber … been carried to his tent from the edge of the camp in triumph …
この時のマカンバーの「勝利の凱旋」は「勝利を装った(pretend)」ものでした。
本当の勝利は、死の時です(CSS 28 The Triumph of Death)。

CSS 5:19 skinner, gun-bearers 皮はぎ、銃持ち
skin, skinner は、皮膚、皮膚科学(dermatology)や第二の皮膚ともいわれる衣類、衣類をはぐ(strip: 裸にする)などを想起させます。

gun-bearers は、梅毒罹患者を想起させます。この短編に登場する三種類の gun (銃)はすべてライフル銃です。ライフル銃の内腔にはライフリング(rifling :らせん状の溝)が施されています。らせん状のものは梅毒トレポネーマ(らせん状菌の一つ)を想起させ、梅毒トレポネーマを持っている人、すなわち、梅毒罹患者(Treponema pallidum carriers)を想起させます。

CSS 5:21 he had shaken all their hands 握手(手を揺り動かす)
shake 「振り動かす、ぶるぶる震える」は、梅毒トレポネーマの運動を想起させます。
Shakespeare 「槍を振り回す人」は、Shakescene 「舞台を揺り動かす人」(Robert Greene 『三文の知恵』)とからかわれました。シェイクスピアは多数の梅毒患者を舞台にのせて揺り動かしました。

ハムレットはオフィーリアの腕をわずかに揺り動かしました。
  Ophelia: At last, a little shaking of mine arm (Hamlet, 2.1.89)
オセローは全身を震わせています。
  Desdemona: Some bloody passion shakes your very frame. (Othello, 5.2.44)

ブレット(Brett, 『日はまた昇る』の主人公)の手は震えていました。
  Her hand was shaky. (The Sun Also Rises, chapter 4, p.35)

CSS 5:29 Mrs. Macomber looked at Wilson quickly. マカンバー夫人はウィルソンをすばやく見た。
look(ed, ing) at … はこの短編中に多数回出てきます。例えば、次のように。
  looked at … as though she had never seen them before (CSS 6:6-7)
  looked curiously at (CSS 6:19)
  looking curiously at (CSS 7:26)
  Wilson looked at him now coldly (CSS 8:3)

上記4例文では、見た人の気持ちが読者に伝わります。しかし、look at quickly の場合は、見た動作の素早さは伝わりますが、見た人の気持ちは伝わりません。どのような気持ちで見たのでしょうか?

looked quickly 「すばやく見た」という表現はヘミングウェイの他の作品にも出てきます。
  ① His voice sounded very strange. He did not recognize it. She looked at him quickly.
   (「海による変容」The Sea change, 1931, CSS 304:45-305:1) 
  彼女は彼(フィル)の「声がとても奇妙」に感じられたので、「すばやく見た」のです。

  ② Robert Jordan drank half the cup of wine but the thickness still came in his throat when
    he spoke to the girl. “How art thou called?” he asked. Pablo looked at him quickly when
    he heard the tone of his voice.
   (『誰がために鐘は鳴る』For Whom The Bell Tolls, 1940, chapter 2, p. 23)

① の「声の奇妙さ」とは、② が説明してくれています。すなわち、(彼=ジョーダンの)声がしゃがれ声(thickness … in his throat)であったからです。

マカンバー夫人がウィルソンを「すばやく見た」のはウィルソンの声が奇妙な(strange)しゃがれ声(throaty voice)であったからだと思われます。
(cf. CSS 11:41 Wilson looked at him quickly, 19:28 in his throaty voice)

CSS 6:2-3 endorsing 裏書きする、保証する、(商品を)推奨する
  (Mrs. Macomber) … commanded five thousand dollars as the price of endorsing … a beauty
  product …

endorse は、en (=in 他動詞化) + L. dorsum (=back 後ろ、背中) です。
この ラテン語 dorsum は tabes dorsalis 「脊髄癆」を想起させます。脊髄癆は実質型神経梅毒の一型で、運動失調、瞳孔異常などを呈します。ウィルソンには運動失調の症状は発現していませんが、瞳孔異常を呈しています。神経梅毒(neurosyphilis)の「神経(neuro- )」についてはCSS 7:12 nerves を参照ください。

CSS 6:4 She had been married … for eleven years. マーゴットは結婚11年
ということは、マカンバー夫妻は1923年に(マカンバー24歳の時に)結婚したことになります。
マカンバー夫妻には子供がいないようです。マカンバーが「夫としての義務」を果たしていなかった、ということだと思われます(cf. they lack their duties, Othello, 4.3.87)。

CSS 6: 8 white hunter ウィルソンは白人のハンターです
ウィルソンはイングランド出身で、白人です。友人、知人を避け、故国を離れ現在(1934年)はアフリカのナイロビをベースにして、狩猟ガイドとして生活しています。

彼は第一次世界大戦前あるいは戦中に結婚、その後軍務に服し海外に派遣されたと思われます(CSS 26:7, war)。戦後帰国し、妻からハンター下疳(Hunter’s chancre, 梅毒)をうつされました。それは11年前のことだったと思われます。妻は梅毒のために若くして亡くなったと推測されます(cf. CSS 10:23)。

CSS 6:9-10 a very red face ウィルソンの顔はとても赤い
ウィルソンのモデルとされるフィリップ・パーシヴァル(Philip Percival)の顔は ‘rubicund face’ (赤ら顔)と記されています(Baker, p. 248)が、’very’ (「とても」)は付されていません。そして、ただ1回だけの言及であり、特別に注目すべきものではなかったと思われます。

それに反して、ウィルソンの「赤い顔」については繰り返し言及されます。
  CSS 6:9-10 a very red face
  CSS 6:15 his red face
  CSS 6:16 baked red of his face
  CSS 6:34 you have a very red face ウィルソンさん、あなた、顔がとても赤いのね
  CSS 6:40-41 But Mr. Wilson’s is always red. でも、ウィルソンさんの顔はいつも赤いのよ。

マーゴットは、ウィルソンの顔が赤いことに異常な関心を持っています。昼食時以前、ライオン狩りからの帰り道ですでに話題にのせています。
  ”The beautiful red-faced Mr. Wilson.” (CSS 17:34)

そして、上記のとおり、昼食のターブルについてからも話題にします。それに対して、ウィルソンは「それを話題にするのはやめようではないか(Let’s chuck it, CSS 6:45)」ときつく言います。
ウィルソンは the beautiful red face を話題にされることを避けようとしています。なぜでしょうか?

なお、mister (Mr. ) は非人称動詞です。mister = need
  Vs mistris neuire na medcyne for malidy on erthe. (van der Gaaf, 26. myster, ‘be necessary’ )
  私たちには地上の病に対するどんな薬も必要でない。(水鳥喜喬訳)

ウィルソンの赤い顔(a very red face)についての解釈

ヴァージル・ハットン(Hutton, Virgil)の解釈
  Some final observations concerning Wilson’s red face. On the political level, behind Wilson’s
  red face lies the red coloring once used on maps to designate arears of the world under
  British rule. Through Wilson, Hemingway exposes these arears as blots of hypocrisy and
  shame, where human laws against lashing, for example are preached but not practiced. On
  the literary level, behind Wilson’s red face leers the red face of Moliere’s archetypal
  hypocrite, Tartuffe, who, like Wilson, passes puritanical judgments on others’ actions but
  pleads the frailty of flesh and blood to excuse his own lust for his friend’s wife. Despite the
  wife’s exposure of the hypocrite, the force of evil is presented as so great that the duped
  husband can escape ruin in Moliere’s comic world only through the intervention of an
  omniscient, omnipotent king. In Hemingway’s tragic world, however, no such all powerful
  figure exists to insure the downfall of evil and to rescue Francis and Margaret Macomber.
政治の視点からは、英国の植民地を赤く塗っていた地図にその背景がある、とのべています。
文学の視点からは、モリエールの『タルチュフ』に登場する赤ら顔の偽善者タルチュフにその背景がある。他人に対してはピューリタン的に断罪しておきながら、みずからは友人の妻に言い寄る、という偽善者、ウィルソンの赤い顔は偽善者であることを示しています。『タルチュフ』では、最後に、全知・全能の王が登場し、タルチュフの悪事を暴き、だまされていた夫、オルゴンの危機を救います。しかし、ヘミングウェインのこの悲劇では、全知・全能の王は現れません。

バート・ベンダー(Bender, Bert)の解釈
  … the repeated mention of Wilson’s red face seems intended to emphasize a kind of blood-
  engorged sexual readiness …
  ウィルソンの顔の赤いことが繰り返し言及されるのは、血液が充満していて、性的準備が
  できていることを強調する意図があるように思える。

私の解釈
以下の二つの視点から解釈します。ウィルソンの赤い顔は、梅毒にかかっていて、その治療薬サルバルサンによる薬剤誘発性光線過敏症によるもの、と考えられます。

(1)皮膚科学の視点から
ウィルソンの顔が赤いのは、光線過敏症型薬疹が疑われます。これは、日光露出部に限局して紅斑などをみるとき、薬剤誘発性光線過敏症が考えられるからです(『標準皮膚科学』第10版、 p. 229)。

顔以外で日光に露出している部位は首の後ろ側で、そこの赤いことはマカンバーが目に留めています。
  … his (Wilson’s) red neck showed just ahead of Macomber.(CSS 27: 29)

日光に露出していない部位の肌の白いことはマーゴットが目に留めています。
  She noticed where the baked red of his face stopped in a white line that marked the circle
  left by his Stetson hat … (CSS 6:16-17)

ウィルソンの場合、「薬剤」とは梅毒治療薬サルバルサンです。サルバルサンの副反応の一つに「顔面の赤色化」があります。ウィルソンの目の虹彩の色が青いことから、メラニン色素が少ないので、肌は色白で、顔面の赤色化は美しいと言えるほど鮮やかになっているのです。

(2)文学の視点から
シェイクスピアの『ヘンリー四世 第二部』に登場する娼婦ドル・テアシート(Doll Tearsheet)の顔は「どんなバラよりも赤い」と居酒屋の女将(Hostess Quickly)が指摘しています。
  ” … your color, I warrant you, is as red as any rose (2 Henry the Fourth, 2.4.24-25)

そして、そのドル・テアシートは梅毒にかかっていて、フォルスタフにうつしています。
  ” … you help to make the disease, Doll. We catch of you, Doll … (2 Henry the Fourth, 2.4.44-45)

CSS 6:10 extremely cold blue eyes とびきり冷たい青い目
ウィルソンはイギリス人です。イギリス人はふつう打ち解けなさを持ち、他人との直接的接触をできるだけ避けようとする傾向があります。それが血を冷たくします(ナサニエル・ホーソン『懐かしの故郷』Our Old Home, Nathaniel Hawthorne)

また、人との直接的接触をできるだけ避けるということは、梅毒罹患者にしばしばみられる態度です(『午後の死』Death in The Afternoon, chapter 10, p. 102)。

CSS 6:10-11 wrinkles at the corners that grooved 目じりに刻まれるしわ
  Wilson … with … extremely cold blue eyes with faint white wrinkles at the corners that
  grooved merrily when he smiled.
ウィルソンは笑うと目じりにしわが刻まれます。ウィルソンは老人ではなく、40歳前後であると推測されます。それにもかかわらず目じりにしわが刻まれる、ということはやせ気味であるということです。梅毒に感染してから11年ほど経過し、体力を消耗してやせているからだと思われます。

また、grooved wrinkles は grooved riflings (銃の内腔に刻まれた旋条⇒スピロヘータ)を想起させます。

A pox of wrinkles 梅毒のしわ
しわ(wrinkles)が梅毒(pox)と関連付けて言及されているシェイクスピア作品があります。『アテネのタイモン』です。
  Timon: Paint till a horse may mire upon your face.
  A pox of wrinkles! ( The Life of Timon of Athens, RSC 4.3.156-157)
  馬がのめりこむほど厚く顔に化粧しろ。
  梅毒のしわなどくそくらえだ!

CSS 6:13 four big cartridges in loops 大きな弾薬4つ
ウィルソンが着ているチュニック(上着)の胸のポケットの位置には、大きなカートリッジ(弾薬:弾丸+火薬)が4つ、ループ(輪状のカートリッジ入れ)に留められています。
ということは、ウィルソンの使用する銃に一度に装填できるカートリッジは4つまで、ということです。

CSS 6:15-17 She noticed マーゴットが気づいたこと
  She noticed where the baked red of his face stopped in a white line that marked the circle
  left by his Stetson hat
① ウィルソンの顔の赤いのは太陽光線が当たるところだけであること
② ステットソン帽で太陽光線がさえぎられているところの肌は白いこと
以上の二点にマーゴットは気づきました。マーゴットはウィルソンの「赤い顔」を注意深く観察しています。

CSS 6:16 動詞 stop(ped) について
ハリー・レヴィンはヘミングウェイの動詞について次のように述べています。
  But, assuming that the sentence derives its energy from the verbs, we are in for a shock if
  we expect his verbs to be numerous or varied or emphatic. His usage supports C. K. Ogden’s
  argument that the verb-forms are disappearing from English grammar. (Levin, Ⅳ p. 157)

私の読みはレヴィンとは異なります。
① ヘミングウェイの文章のエネルギーは動詞からも来ています。その一例としてこの短編の stop という動詞があげられます。その力強い(emphatic)ことにはショックを受けます、特に最後の stop という動詞には。

② stop という動詞一つを取ってみても、その使用法が変化に富む(varied)こと、その意味が多様であることに驚きます。CSS 28:42 の stop と CSS 6:16 の stop(ped) とはその使用法と意味が異なります。

③ stop はこの短編中に20回ほど出てきます。
  名詞として    2回(CSS 12:6, 22:28)
  自動詞として   5回(CSS 6:16, 20:36, など)
  他動詞として  13回(CSS 11:30, 28:37, など)
   計      20回

ヘミングウェイの語法(usage)は英文法の動詞形(verb-forms)の教材に最適です。

CSS 6:17 his Stetson hat ウィルソンのステットソン帽は釘に掛けられていた
  his Stetson hat that hung now from one of the pegs of the tent pole.
  ウィルソンのステットソン帽は、今は、テントの柱の釘のうちの一つに掛けられている。
この文の第一の意味は、上記和訳(解釈)のとおりです。

そして、この文には第二の意味が込められています。それは、シェイクスピアがよく使う言葉遊びに似ていて、卑猥な意味です。すなわち、ステットソン帽は、その所有者ウィルソンを意味しています。hung は「大きな一物をかぶせた(sexually mounted)」を意味します。 peg = Peg で、Margaret の愛称ですから、マーガレットを意味します。以上から、「ウィルソンはマーガレットと情を交わす」という意味になります。これは、CSS 19:30 “Topping” の第二の意味、sexually mounting の予告になっています。

なお、『アフリカの緑の丘』では、同行のハンターの一人カール(Karl)がステットソン帽をかぶっています。そのカールは病気です(Green Hills of Africa, chapter 8, p. 167)。ウィルソンも病気です。

CSS 6:31-32 put your hat on even under the canvas at noon 天幕の下でも昼間は着帽すべき
ウィルソンが脱帽しているのに気づき、マーゴットは次のように問いかけています。
  ”Hadn’t you ought to put your hat on even under the canvas at noon? You told me that, you
   know.”
  「天幕の下でも昼間は帽子をかぶっていたほうがいい、とあなた言わなかったかしら?」

ということは、ウィルソン自身も昼間は帽子をかぶっていた方がよい、と思っていて、マーガレットに助言していたことを意味しています。アフリカは特に日射しが強いので。

CSS 7:1 “Conversation is going to be so difficult,” Margaret said. 会話がとても難しくなるわね
ウィルソンが「赤い顔を話題にするのは止めてもらいたい」と言ったとき、マーゴットが「それでは会話をするのがとても難しくなる」と言ったのです。

しかし、他に話題はいくらでもあるでしょう。そこで、マカンバーやウィルソンは次のように反論します。当然です。
CSS 7:2 “Don’t be silly, Margot,” her husband said. 「バカなこと言うんじゃないよ、マーゴット」とマカンバー。
CSS 7:3 “No difficulty,” Wilson said. 「難しいことはない」とウィルソン。

ここで私が問題にしたいのは、マーゴットのことば “Conversation is … difficult” とウィルソンのことば “No difficulty” です。

この短編の謎解きには眼科学の知識が必要、と前に記しましたが、眼科学という視点からすると、conversation は convergence 「輻湊」を想起させます。輻湊とは両側の目を鼻側に寄せることです。近くのものを見る時には両目が不随的に鼻側に寄り、焦点が合うようになります。この輻輳が正常で迅速でなければハンターとしては務まりません。ですから、ウィルソンは、輻輳(Convergence)は難しくない(No difficulty)と答えるのです。
この convergence (conversation) は CSS 21:27-28 の accommodate と関係しています。

その2(CSS 7:7 以下)につづく


投稿者

nazotokio

ひとつひとつ楽しみながら謎解きを進めてゆきたいと思います。 恵泉女学園大学にて藤野早苗名誉教授の「アメリカ文学購読」を受講しました。 フラヌールの会(主宰:Totani 氏)元会員、 日本ヘミングウェイ協会 会員(男)。

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