7-2 ぐっすり眠った深夜の出来事
CSS 17:43-44 マカンバーは知らなかった
マカンバーは知らなかった、ライオンが突進する前にどう感じていたかを。
マカンバーは知らなかった、ウィルソンがこれらの状況についてどう感じていたかを。
CSS 18:5-6 マカンバーは知らなかった、妻がどう感じていたかを。
マカンバーは知りませんでした、妻が深夜、ベッドを抜け出してウィルソンのテントに向かったことを。
CSS 18:8-22 マカンバーは知っていた
マカンバーは知っていた、今となっては妻はマカンバーを捨てないことを、
マカンバーは知っていた、オートバイのことを、・・・カモ猟のことを、セックスのことを本で、た
くさんの本で。
しかし、馬について知っていることは多くはなかった。
『誰がために鐘は鳴る』に登場するパブロ(Pablo)は、馬を愛し、馬をよく知っています。馬もパブロの言葉が分かるくらいです。
しかし、マカンバーは馬の知識が乏しいのです。馬を巧みに操ることはできないでしょう。
「馬を愛する人」のことを「フィリップ(Philip = philos + hippos)」と呼びますが、馬を巧みに操ることができる人のことを「ヒッポクラテース(Hippocrates = hippos + krates)」と呼びます。ヒッポクラテース、すなわち、医術の父と称されるギリシャ、コス島出身のヒッポクラテースです。
マカンバーは、パブロやウィルソンや妻・マーゴットほどには医学の知識がありません。ですから、妻やウィルソンの現在の梅毒の病状に気づいていません。
医者は『グレート・ギャツビー』にも登場しますが、医者が「医者」としてではなく「馬」として登場しますので、多くの読者は気づいていないようです。
馬を巧みに操る人(=医者)はヘミングウェイ作品にも登場しますが、同様に多くの読者は気づいていないようです。
CSS 19:8 お願い(please)、あなた、話しをするのはやめましょうよ
マーゴットは夫・フランシスに対しては、please (お願い)という語を添えます。不品行の後でも。
お願い、ねえ、あなた、話しをするのはやめましょうよ。(CSS 19:8 … please let’s not talk …)
お願い、あなた、話しをするのはやめましょうよ。(CSS 19:13 Please … )
お願い、話しをするのはやめましょうよ(CSS 19:22 Please … )
お願い、フランシス、分別をもって話すようにしていただきたいの (CSS 20:11 will you please … )
ウィルソンに対しては、同様のことを言うとき、please を省いています。お金で雇った人間に対しては、白人であっても、年長者であっても、please を省いた命令形です。CSS 28:26, 28:28, 28:33 などを参照。
CSS 19:28 しゃがれ声(throaty voice)
「よく眠れましたか」ウィルソンはパイプに煙草をつめながら、しゃがれ声で尋ねた。
しゃがれ声(嗄声:させい)があるということは、声帯に病変があることを示し、主なものは、炎症、ポリープ、反回神経麻痺、癌である。(『最新 医学大辞典』第3版)
『グレート・ギャツビー』ではトム(Tom)の声がしゃがれ声(The Great Gatsby, chapter 6, p. 82 gruffly)です。
ヘミングウェイ作品では、しゃがれ声(cracked voice, thick voice, hoarse voice, rough voice, heavy dull voice など)が言及されるのは、『武器よさらば』のフレデリック(Frederic Henry, chapter 38, p. 292 thick from being excited)、『誰がために鐘は鳴る』のジョーダン(Robert Jordan, chapter 2, p. 23, thicness … in his throat)、パブロ(Pablo, chapter 16, p. 204 thickly)、エルソルド(El Sordo, chapter 27, p. 308 throaty)などですが、梅毒と直接的に結び付けられて記述されているわけではありません。
ヘミングウェイは梅毒を水面下に隠した、と思われます。
シェイクスピア作品では、『アテネのタイモン』で、「声(voice, crack … voice)」が「梅毒(consumptions)」と関連付けて言及されています。
Timon: Comsumptions sow
In hollow bone of man, strike their sharp shins,
And mar men’s spurring. Crack the lawyer’s voice
That he may never false title plead,
Nor sound his quillets shrilly.(Timon of Athens, RSC 2nd. , 4.3.160-164)
(RSC 2nd. , 脚注、The Arden Shakespeare Third Series, 2008 脚注を参照ください)
タイモン: 梅毒の種を蒔いて
人間の骨を脆くし、脛に激痛を走らせて
足腰もあそこも立たなくしてしまえ。弁護士の喉をつぶし、
その結果二度と不正な所有権を主張したり、
かん高い声で屁理屈をこねたり出来ぬようにしてやれ。(松岡和子訳、p.132)
Note, Consumptions : Used of all wasting disease, including syphilis (Riverside Shakespeare 2nd.)
なお、consumption(s) は、シェイクスピア作品中に合計5回出てきます。
「お金を使うこと」、「梅毒」、「消耗病(肺結核)」の3種の意味に使われています。
『ヘンリー四世 第二部』フォルスタフの台詞中に1回です(The Second Part of Henry the Fourth, 1.2.236 this consumption of the purse )。「お金を使うこと」を意味しています。
『リア王』リアの台詞中に1回です(King Lear, 4.6.128-129 burning, scalding, stench, consumption)「梅毒」を意味していると解釈できます。他の解釈もありますが。
『空騒ぎ』ベアトリスの台詞中に1回です(Much Ado About Nothing, 5.4.94-95 partly to save your life, for I was told you were in a consumption )。恋の病で死ぬのを救う、ですから、俗用の、広義の「消耗病(肺結核)」を意味していると解釈できます。
『アテネのタイモン』タイモンの台詞中に、上記(consumptions)1回と次の1回(consumption)計2回です。次の consumption も「梅毒」を指すものと解釈できます。
Timon: ‘Tis, then, because thou dost not keep a dog,
Whom I would imitate: consumption catch thee!
(Timon of Athens, 4.3.200-201)
CSS 19:30 ぐっすり眠りました(Topping)
「(ウィルソンさん、)あなたは、よく眠れましたか?」
マカンバーはウィルソンに尋ねました。
ウィルソンがマカンバーに答えます。
「ぐっすり眠りました(Topping.)」。
これには第二の意味が含まれています。すなわち、mounting sexually という意味です。この意味で使われている例が『オセロー』に2回出てきます。イアーゴーとオセローの台詞中です。
Iago: Behold her topped? (RSC 2nd. Othello, 3.3.438, note, topped: mounted sexually)
Othello: Cassio did top her. (RSC 2nd. Othello, 5.2.158)
なお、top(ping) と綴り、発音、意味の点で類似したことばがあります。tup(ping) ということばです。イアーゴーが次の台詞中で使っています。「雄羊(が雌羊と交尾する)」という意味です。
Iago: Even now, now, very now, an old black ram
Is tupping your white ewe. (Othello, 1.1.88-89)
CSS 19:30 Topping (= mounting sexually 情を交わす) ということは、何を意味するか?
Topping ということは、マーゴットは第二の皮膚(衣類)を脱ぎ、第一の皮膚(素肌)をウィルソンの目にさらす、ということです。マーゴットは、バラ色の発疹をウィルソンに見てもらい、助けを得たいと思ったのです。ウィルソンは、マーゴットが梅毒にかかっていることを確認しました。マーゴットの両肩の間に、そして、体幹にバラ疹を見ました。
また、マーゴットは、ウィルソンの素肌を見ました。ウィルソンが同病を病んでいることの確証を得ました。「とても赤い顔」の秘密を確認できました。
二人とも目に見える証拠 (Othello, 3.3.360 ocular proof)を手に入れたのです。
CSS 19:36-37 アンズ(apricots):バラ疹と不倫
水牛狩りの日の朝食にはコーヒーのほかにアンズ(a dish of apricots)が供されました。
アンズはバラ科、サクラ属の落葉果樹。果実は食用。乾果、シロップ漬、ジャムなどに加工。その種子(仁)には青酸配糖体を含み鎮咳剤とする。
ウィルソンは喉に病変が認められるので、アンズがその薬効を期待されて供されたのでしょう。
また、バラ科(Rosaceae)であることからマーゴットのバラ疹(roseola)が想起されます。
ヘミングウェイ作品では、「三日吹く風(The Tree-Day Blow, CSS 85-93)」に apricots が2回でてきます。「大きな二つの心臓のある川 第一部(Big Two-Hearted River, Part 1, CSS 163-169 ) 」に、apricot が1回、 apricots が5回出てきます。ニックは、生のアンズよりシロップ漬のほうがうまい、と言っています(CSS 168)。
シェイクスピア作品では、『リチャード二世』と『夏の夜の夢』にアンズ(apricocks = apricots)が出てきます。『夏の夜の夢』では、妖精の妃(ティターニア)が愛人ボトム(Bottom)にアンズをごちそうします。不倫相手にアンズを供します。
Titania: Feed him with apricocks and dewberries, … (Midsummer Night’s Dream, RSC 3.1.128)
テターニア:この方にアンズやキイチゴ・・・をさしあげなさい・・・
ボトムは梅毒にかかっています。(cf. RSC Midsummer Night’s Dream, 1.2.65)
マーゴットはお馬鹿さんではありません(not stupid)。ウィルソンと同じようにシェイクスピアを読んでいます。不倫とバラ疹を思い出させるアンズは食べずに、皿ごと遠ざけます(pushing away a dish of apricots)。
CSS 19:43 命令(ordering)なんてやめましょうよ、とマーゴット
なぜ彼女にキャンプ地に留まるように命令しないんだ?とウィルソン。(CSS 19:41)
あんたが命令しなよ、とマカンバーが冷たく言う。 (CSS 19:42)
命令なんてやめましょうよ・・・とマーゴットがきわめて陽気に。 (CSS 19:43)
マーゴットは、夫からだろうと誰からだろうと命令されたくないのです。
『河を渡って木立の中へ』のキャントウェル大佐(Colonel Cantwell)も「命令されるのはとても悲しいことです(great sorrow)」(Across The River And Into The Trees, chapter 27, p. 194)と言っています。
そうです、かちんとくる、というより深い悲しみが生まれるのです。
CSS 20:8-20:9 くだらんことを言う(talk rot)
私だったらそんなくだらんこと(rot)は言わないんだが、とウィルソン。
くだらんこと(rot)は言ってない、とマカンバー。
ここでは、rot が「くだらんこと」という意味で使われています。しかし、第二の意味があります。① 動詞としては「腐る、腐らせる」という意味です。② 名詞としては(the rot )「(古義)消耗性疾患」、すなわち「梅毒」という意味です。(cf. 3回目の rot , CSS 26:24 talking rot)
『アテネのタイモン』に、 ①「腐る」の例があります。
Phrynia: Thy lips rot off! (RSC 2nd., Timon of Athens, 4.3.66)
フライニア:あんたの唇なんか(梅毒にかかって)腐って無くなってしまえばいいんだ!
(cf. RSC 2nd. foot note, rot off: suggesting of the rotting effects of syphilis)
『アテネのタイモン』に、②「梅毒」の例もあります。
Timon: I will not kiss thee, then the rot returns
To thine own lips again. (RSC 2nd., Timon of Athens, 4.3.67-68)
タイモン:おまえにキスはしない、キスをすれば梅毒が
おまえの唇に戻るから。
この短編では、三人の発言の中に rot が出てきますが、梅毒(the rot )にかかっているのは、マーゴットとウィルソンの二人です。マカンバーはかかっていません。
CSS 20:13 汚らわしい食い物(filthy food)
こんな汚らわしい食い物、食ったことあるか?(CSS 20:12-13)
「こんな汚らわしい食い物(such filthy food)」とは、アンズ(apricots)のことを指しています。アンズ(apricocks)は、妖精の妃が愛人のボトムをもてなすために供した果物です。しかも、ボトムは梅毒にかかっています。
他人の妻を寝取る梅毒患者のウィルソンが供する「汚らわしい食い物」など食えるか!というわけです。
CSS 20:32 赤い顔をした豚(red-faced swine)
マカンバーも、ウィルソンの顔が異常に赤いことに気づいていました。ですから、妻とウィルソンとの不品行の日の朝、次のように怒りのことばの中に「赤い顔」が「豚」とともに、口をついて出てきてしまったのです。
あの赤い顔をした豚は大嫌いだ。
豚(swine)からは、梅毒が想起されます。なぜなら、
swine (sus)+ friend (philos)=syphilis 梅毒(『研究社 新英和大辞典』第六版、2002年)だからです。フラカストーロ(Girolamo Fracastoro, 1478 – 1553)『シフィリスまたはフランス病』( Syphilis sive de morbo gallico, 1539)の Syphilis に由来しています。
ウィルソンの顔が赤いのは梅毒にかかっているからであり、赤い顔を話題にされたくないのはそのためです。(cf. CSS 6:45 Let’s chuck it)
CSS 20:34 ウィルソンさんは、ほんとに、とおっても、すてきよ(really very nice)
亭主の前でよくもまあ言えたものです。とはいえ、really と very とによって強調された nice という形容詞の意味は漠然としています(uncertain)。
ウィルソンは、猛獣狩り以外の場でも聖人君子ぶらず、実際的で、こちらの必要を満たしてくれる「すてきな」男だということでしょうか?
A friend in need is a friend indeed.
ハリー・レヴィンは、形容詞 (fine と) nice など について、次のように述べています。
Consider his restricted choice of adjectives, and the heavy load of subjective implication carried by such
uncertain monosyllables as “fine” and “nice.” (Levin, p. 155)
・・・
Like “fine” and “nice,” or “good” and “lovely,” it does not describe; it evaluates. (Levin, p. 156)
彼の形容詞の限られた選択、「ファイン」(”fine”)とか「ナイス」(”nice”)といった意味の漠然と
した単音節語によって担われている主観的な意味の含みの重荷を考えてみるがいい。
・・・
「ファイン」や「ナイス」のように、あるいは「グッド」(”good”)や「ラヴリィ」(”lovely”)のよ
うに、それは描写ではなく評価の言葉なのだ。(土岐恒二訳、p.454 上段)
このレヴィンの言葉は私たちに「春はあけぼの・・・。・・・おかし。・・・わろし。」を想起させます。清少納言の鋭い評価のことばを想起させます。
さて、nice が評価のことばであるとしたら、「(ウィルソンは)すてき」では、鋭さ、力強さが欠けています。ウィルソンのマーゴット評価「お馬鹿さんどころではない(cf. CSS 8:46, no, not stupid)」に対応することばとしてはものたりません。
この短編には非人称動詞が数多く登場します。その多くは中英語期(ME 1100年~1500年)に人称動詞に移行しました。そのほぼ同じ時期(c. 1300 – c.1557)、形容詞 nice の第一義は「愚かな (foolish)」でした。英語の nice の語源はラテン語の nescire = to be ignorant です、(古)フランス語(nice: stupid)経由移入されました(『英語語源辞典』)。
nice (nyce) が foolish (愚か)の意味で使用された例:
チョーサー(Geoffrey Chaucer, c.1343 – 1400) の『トロイルスとクリセイデ』
O veray fooles, nyce and blynde be ye! (Troilus and Criseyde, c.1387, 1.202)
ああ、本当のばか者たちよ、そなたらは愚かで盲目なのだ!(第一巻202、笹本長敬訳)
そこで、マーゴットのウィルソン評価は、「彼はほんとにとおってもお馬鹿さん(stupid)」です。
なぜなら、マーゴットのバラ色の肌を見て、梅毒罹患に気づき、同情し、助力のことばをかけてくれるものと期待していたのにもかかわらず、ウィルソンは梅毒の知識がなく、気づかなかった(nescire)(と彼女は思った)のです。ほんとにひどいお馬鹿さんなのね、と評価したのです。
深夜の出来事とウィルソンの内的独白(Interior monologue)
深夜の出来事を、水牛狩りに出発後、車中でウィルソンが回想します(内的独白:Interior Monologue )
(CSS 21:1-43)。
CSS 21:1-2 Hope ウィルソンは・・・心の内で願った
あの馬鹿者がおれの後頭部を吹っ飛ばそうなんて了見を起こさなければいいが、とウィルソンは思っ
た。(高見浩訳、新潮文庫 p. 297)
マカンバーによって後頭部(the back of head)が吹っ飛ばされても仕方ないような悪行をウィルソンはしたのです。しかし、マカンバーはウィルソンを吹っ飛ばしませんでした。その代わりに、マーゴットがマカンバーの後頭部(the back of his head)をぶっ壊すことになります(CSS 27-28)。
CSS 21:2 女ってやつは実際厄介者(a nuisance)なのだ、サファリにおいては。(高見浩訳、p. 297)
ウィルソンは、マーゴットにキャンプ地に残ってもらいたかったのです(cf. CSS 19:38-39, 19:41)。しかし、マーゴットは同行を希望し、同行した結果、事故が起りました。
デズデモーナは、戦地に赴く夫に同行することを希望し、オセローも妻の希望を入れ同行させます。その結果悲劇が起りました。女ってやつは戦争では(on war)厄介者です。
CSS 21:22-23 He’d have 俺はもうあの女とはかかわりを持たないつもりだ
ウィルソンはなぜ、「これからはあの女とかかわりを持たないつもり(He’d have nothing more to do with the woman)」になったのでしょうか。(cf. CSS 21:38 he’d dropped )
その理由:
① 彼女が梅毒に罹患していることがはっきりしたから。ウィルソンは自身の梅毒についてはまだ快癒に希望を持っています。したがって、再度の感染を避けたいのです。彼女の二期梅毒は感染力が強いですから。
② 彼女はウィルソンに苦境を訴えなかったし、助けを求めなかったから。苦しんでいないなら助けは不要です。余計なお世話は控えるべきです。
③ 彼女は彼女の欲望を満足させることが主目的であった、ように考えられたから。
昨日の午前、ウィルソンは、マカンバーに対して、傷を負ったライオンを最終的に仕留める段階で、次のように言っていました。
しかし、あんた、あの傷を負ったライオンとは一切かかわりを持たなくてもよろしいですよ
(you don’t have to have anything to do with it., CSS 15:39)。
ウィルソンは、マカンバーが恐怖で震えている(trembling, CSS 15:22)のを見ました。そして、実際マカンバーは傷を負ったライオン(the wounded lion)が襲ってきたとき、パニックに陥って逃げ出したのでした。
今度はウィルソンが、傷を負った雌ライオン(the wounded lioness, the mar got lioness)に恐れおののき、逃げ出したいと考えたのです。
CSS 21:27-28 どのような思いがけない幸運にも「対応することができるように(to accommodate)」
ウィルソンは、サファリにはダブルサイズの簡易ベッドを持って行きます。魅力的な女性が深夜、ベッドに潜り込んでくるというような、思いがけない幸運に巡り会える場合もありますので、そのような機会に、いや、そのほかどのような機会にも対応できるように(to accommodate)ダブルサイズの簡易ベッドを持ってゆくのです。
to accommodate は「人の要望を受け入れる、人を収容する」、accommodation は「宿泊施設、収容能力」などの意味があります。
また、第二の意味として、眼科学上の意味があります。すなわち、「調節する(accommodate: 水晶体の厚さを加減して焦点を合わせる)」という意味です。
突如近づく獲物にも目の焦点を合わせることができなければハンターはつとまりません。
ウィルソンの目はどのような場面にも調節する(accommodate)のに困難はありません(No difficulty, cf. CSS 7:1-3, conversation: convergence)
CSS 21:37-38 妻。妻。妻。妻。
Now the wife. Well, the wife. Yes, the wife. Hm, the wife.
昨夜、マーゴットとベッドを共にしました。亡き妻の記憶がよみがえりました。
『オセロー』では、デズデモーナを殺害後、オセローは嘆き悲しみます。
If she come in, she’ll sure speak to my wife.
My wife, my wife! what wife? I have no wife.
O insupportable! O heavy hour! (Othello, 5.2.96-98)
もし、エミリアが部屋に入ってきたら、きっと、私の妻に話しかける。
私の妻に、私の妻!どんな妻?私にはもう妻はいない。
ああ、耐えられない!ああ、なんとみじめなことか!
ウィルソンの場合は、wife の限定詞がオセローの my から the に変わっています。「自分の妻」を忘れてしまったわけではありませんが、死後長い年月が経っていますので、総称の定冠詞 the に変わっているのです。「さて、えーと、そう、うーん、妻、というものは」。
CSS 21:38-39 he’d dropped ウィルソンはそんなものとはすべて既にかかわりを断っていたのだ
(cf. CSS 21:22 He’d have)
とはいえ、ふとした機会に妻の姿が目に浮かぶことがあるのです。妻の幻が(the ghost of his wife)。
CSS 21:39 ウィルソンは振り返ってマカンバーとマーゴットを見た
ウィルソンは自分の心の内を二人に見透かされているのではないかと不安になって、振り返りました。
CSS 21:39 マカンバーは苦り切って怒り狂った顔つきをしていました
ウィルソンは、安心しました。マカンバーは自身の怒りに身を任せています。
CSS 21:40-41 マーゴットは今日は昨日よりも若々しく、いっそう邪気がなく、生き生きとしていて、職業的でない美しさに満ちていた。
ウィルソンはうれしく思いました。彼女は満ち足りて、初々しいく感じられます。
CSS 21:41 マーゴットの胸の内は神のみぞ知る。
CSS 21:42 昨夜、マーゴットは多くは語りませんでした。
ウィルソンも多くは語らなかったでしょう。二人ともほとんど沈黙の夜を過ごしたのです。
マーゴットの胸の内は分かりませんが、苦しんでいないように見受けられます。
昨夜は自身の苦境を訴えることをしませんでしたし、泣き言を言いませんでした。
自分の方から人に助けを求めるには自尊心が強すぎました。ウィルソンに察してもらいたかったのです。
一方、ウィルソンは気づいていることをマーゴットに伝えることを控えました。ウィルソンはイギリス人ですから、寡黙です。ましてや雇い主に対して、相手が恥ずかしいと感じるようなことをこちらから指摘するわけにはいきませんでした。マーゴットの胸の内を聞き出すような慎みの無いことはできません。マーゴットの胸のうちは神のみぞ知る。
その5(CSS 21:3 以下)につづく